2010年10月14日木曜日

ばってん日記:地名の不思議/上 /熊本

 GW中で、読者の多くは休日でしょうから、どうでも良くて役に立ちそうにもない軽い話題を2回続けて書きます。
 熊本市に移り住んで最初に首をかしげたのは、「町」をどう読むのか、である。当支局の所在地は熊本市船場町(せんばまち)という。町の読みは「まち」だ。ところが、その東隣は練兵町(れんぺいちょう)で、町を「ちょう」と読ませる。 UGG
しかし練兵町の東隣は、紺屋今町(こうやいままち)で再び「まち」に戻る。
 「ちょう」と「まち」が近所同士で混在している。船場町の北側も事情は同じで、すぐ北隣は辛島町(からしまちょう)だが、その北隣は桜町(さくらまち)、しかしさらに北隣は花畑町(はなばたちょう)である。ああ、何とややこしい。「ちょう」か「まち」か、どっちの読み方
なんだ。「この城下町を設計した責任者(加藤清正)出てこーい」と言いたくなる。
 「くまもと城下の地名」(熊日新書)によると、熊本城を取り巻く形に武家屋敷が置かれ、その地は「ちょう」と呼ぶ。その近くには、町人の町が広がり、それらは「まち」と呼ばれるという。
 ただし今では失われた地名も多く、城下町の面影は地名からは断片的に浮か
ぶだけだ。船場町の西隣の新町(しんまち)では20以上もの旧地名が消滅したという。地名はその地の人々の営みを物語り、人で言えば「顔」のようなものだけに残念である。
 水俣市出身の民俗学者の谷川健一さんが設立した日本地名研究所が川崎市にあり、10年以上前に取材した。その時の話では、元凶は1962年の「住民表示に関する法律」で、地名
の改変が容易になったため「平和が丘」「緑が丘」「希望が丘」など、全国に似た地名があふれた。開発業者と行政の思惑が一致した結果なので止められないと聞いた。地名変更後の土地は、整形美人に似て以前の姿は不明になる。
 昔、受験勉強中にオランダにスケベニンゲンの地名を見つけて喜んだが、地図で遊んでいる場合ではないのである。<熊本支局長?
大島透>

5月4日朝刊

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引用元:エミルクロニクル(Econline) 総合サイト

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